忍者ブログ

佐野寿宏の生活・インテリアブログ

はるか奈良時代以前から続く蚊帳織りの歴史 その技術は用途を広げブランド化する

WEB歴史街道      7/31(木) 11:52



蚊帳の伝来地にして、生産発祥の地にて

生活の進化とともに発展した奈良の蚊帳作り
鎌倉時代に成立した『春日権現験記絵巻』に、平安時代の邸宅で使われる蚊帳を描いた場面があり、最古の蚊帳の図像とされる。それは、現在に知られる蚊帳織りによる蚊帳とほぼ同じものと見える。 その蚊帳織りとは、1ミリほどの間隔がある目の粗い単純な平織の織物である。ただ、そのままだと簡単に織り目がずれてしまうので、水溶性の糊などで経糸(たていと)・緯糸(よこいと)の交点を固めて、目が乱れないように加工がされている。素材の繊維は、近代以降には綿やさまざまな化学繊維も使われるが、もともとは麻であった。 奈良興福寺にあった塔頭の室町時代の日誌『大乗院寺社雑事記』には、蚊帳が貴族や武士の間の贈答品として利用されたことが記録され、中世都市化した奈良の物産として蚊帳の生産が始まっていたことが知られる。奈良盆地が、蚊帳織りに適した麻繊維の原料である青苧(からむし)の産地であったことも、この生産を支えたとみられる。 江戸時代初期より、近江八幡を中心に現在の滋賀県内でも蚊帳の生産が始まる。ことに近江商人の西川甚五郎が麻生地を萌黄色に染めて紅布の縁(へり)を付けた蚊帳を考案。これを八幡蚊帳と銘打って江戸で販売して人気商品となり、蚊帳が商家などでも使われるようになる。浮世絵師が題材にも取り上げ、当時の蚊帳を使用する姿を見ることもできる。 もっとも、庶民にとっては麻の蚊帳は高嶺の花であり、代用として紙製の蚊帳も作られた。ただ、これは暑苦しいものだったようで、むしろ冬の防寒具に転用されたらしい。一般に広く蚊帳が普及するのは明治時代に入ってから。明治2年(1868)、奈良で安価な綿麻の蚊帳が開発されたことをきっかけとし、これによって販路は拡大していく。 奈良の織物といえば、奈良晒(ならざらし)が知られる。武士が着用した裃(かみしも)などの素材で、幕府御用品として保護されたが、明治時代を迎えて需要が減り、多くの職人が蚊帳作りに転身した。このことも奈良での蚊帳の増産につながった。さらに大正時代になると、蚊帳織りの機械化が進み、安い綿蚊帳の大量生産が可能となり、戦前の奈良蚊帳産業の全盛期を迎えることになる。 「垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳(あおがや)をすがしといねつたるみたれども」。歌人・作家の長塚節(たかし)による大正3年(1913)夏の詠歌。咽頭結核で病室暮らしだった長塚が、無理を押して帰郷した際、母が釣った青蚊帳に親心を知った。続けての作歌「小さなる蚊帳もこそよきしめやかに雨を聴きつゝやがて眠らむ」。

奈良の伝統技術を世界の家庭に生かす

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R